施設案内 – 光琳屋敷(復元)

尾形光琳が自ら描いた図面と大工の仕様帖、茶室起し図が含まれる小西家文書と呼ばれる資料(重文)に基づき、数寄屋建築研究の権威、堀口捨巳博士の監修により復元した屋敷です。光琳は、正徳2年(1712)頃に京都の新町通り二条下ルの地に屋敷を建て、最晩年の5年間を過ごし、2階の絵所(アトリエ)で光琳晩年の最高傑作、国宝「紅白梅図屏風」を描いたと考えられています。
間口7間半、奥行13間ほどの敷地に、建坪約90坪の数寄屋造で、江戸時代の町屋建築を伝える貴重な資料です。
屋敷内には5畳半と3畳の茶室が設けられています。3畳の茶室は、光琳の号「青々」にちなんで「青々庵」と名付けられ、扁額は日本画家・奥村土牛氏によるものです。