重要文化財

方広寺鐘銘 

データ

作者 清韓文英
時代 桃山時代 慶長19年(1614)
素材・技法 紙本墨書 一幅
サイズ 126.7×88.2㎝

解説

方広寺は京都の天台宗の寺院で、豊臣秀吉(1536~98)により奈良東大寺に倣った大仏殿が天正17年(1589)に創建されたが、慶長元年(1596)、地震のため倒壊した。秀吉の死後、子の秀頼がこれを再興し、慶長17年(1612)完成をみた。ついで、下野国佐野郷の鋳工藤原三昌に命じて鐘を鋳造し、南禅寺の清韓文英(1568~1621)に銘を撰述させた。本図は、その時の鐘銘の下書きである。鐘銘中の「国家安康」「君臣豊楽」の語が、家康にとって不吉の語として曲解され、大坂夏の陣の発端となったことはよく知られている。この梵鐘は、近世における随一の名鐘であり、現在国宝に指定され方広寺に保存されているが、実際に梵鐘に刻まれている銘文とこの下書きとでは、字句に多少相違が見られる。清韓文英は、東福寺や南禅寺の住持となった禅僧で、唐様の書を得意とした人物としても名高い。
(本文略)
慶長十九甲
寅歳孟夏十六日
大檀那 正二位右亟相豊臣朝臣秀頼公
奉行 片桐東市正豊臣且元
冶工 名護屋越前少掾藤原三昌
前住東福後住南禅文英叟清韓謹書
「文英」朱文鼎印 「清韓」朱文方印

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