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展覧会

開催予定

開館40周年記念名品展 第3部

2022.10.28(金) - 2022.12.11(日)

概要

MOA美術館のコレクションは、創立者・岡田茂吉(1882~1955)が蒐集した日本、中国をはじめとする東洋美術を中心に構成されています。その内容は、絵画、書跡、彫刻、工芸等、多岐にわたり、各時代の美術文化を語る上で欠くことの出来ない作品を含んでいます。

この度の開館40周年記念名品展の第3部では、野々村仁清「色絵金銀菱重茶碗」(重文)、岩佐又兵衛勝以「浄瑠璃物語絵巻」(重文)、尾形光琳「秋好中宮図」、「吉祥天曼荼羅図」(重文)をはじめとする茶道具、琳派作品、仏教絵画等を展示します。この機会に日本・東洋美術の精華をご鑑賞ください。

重文 「浄瑠璃物語絵巻」 伝 岩佐又兵衛勝以 江戸時代

又兵衛筆とされる絵巻群中、最も色彩の華麗な作である。物語は義経説話の一つで、奥州へ下る牛若と三河矢矧(やはぎ)の長者の娘浄瑠璃との恋愛譚を中心に、、中世末期には浄瑠璃節として、盲目の法師によって盛んに語られていた。近世に入って、慶長(1596~1615)の頃には操 (あやつり)人形と結びついて熱狂的な人気を博した。この絵巻は、その芸能としての浄瑠璃の魅力を、驚くべき濃密精細な装飾手法によって、絵巻物の世界に、より生々しく、眩惑的に再現したものである。『浄瑠璃物語』十二段の正本(テキスト)そのままを用いた詞により、牛若の衣裳模様や女房たちの局の襖の画題、浄瑠璃姫の寝室の調度、二人が交わす大和言葉の逐一まで、綿々と語られており、それらの場面が、金箔・金銀泥(きんぎんでい)・緑青(りょくしょう)・群青(ぐんじょう)・朱など各種の高価な顔料を惜しげもなく使い、艶麗な色調で描かれている。特に衣裳の模様の細かさは顕微鏡的な精密さである。画中の人物描写が又兵衛風といわれる豊頬長頤(ほうきょうちょうい)の特徴をもつなど、本巻も又兵衛を棟梁とした工房作と見るのが妥当であろう。津山藩松平家伝来。

重文 「色絵金銀菱重茶碗」 野々村仁清 江戸時代

この茶碗は、宗和の依頼によって東福門院(後水尾天皇の中宮、徳川二代将軍秀忠の娘)への献上品として制作されたものと伝わる。銀菱文の碗に金菱文の碗がすっぽりと収まる゛入れ子〟の茶碗で、轆轤の名手と称される仁清ならではの薄い作りで、胴にわずかにふくらみをもたせた端正な姿に挽(ひ)き上げている。口縁部は金と赤の彩色で縁取り、それを際だたせるためか、見込み全面に仁清独特の漆黒釉を塗りまわしている。外面には、白化粧地を効果的に残しながら、赤で縁取った金・銀の菱繋ぎ文と意匠化された蓮弁文をめぐらし、斬新な装飾に仕立てている。それぞれの高台の土見(つちみ)は透明釉で覆われ、高台内に「仁清」の小判形の小印が捺されている。後に土井相模守から山澄力蔵を経て、平瀬家より益田鈍翁に転伝された。『大正名器鑑』所載。

重要美術品 「雪月花図」 酒井抱一 江戸時代

酒井抱一(1761~1828)は、姫路城主酒井忠以(たださね)の弟として江戸に生まれ、幼少より恵まれた環境で芸術の世界に親しんだ。ことに絵画は、光琳に傾倒しつつ独自の画境を創始した。雪月花は、わが国の季節感を端的に物語る画題で、江戸狩野派の画人などに早くから取り上げられてきた。抱一は、三幅を並置したときの各幅相互の画面構成を考慮し、雪松は画面上部に、雲井の月は中央に、桜花は下部に描いて、三幅を通して対角線に構図をまとめている。ここには、画家、俳人、そして琳派芸術の研究家でもあった抱一の、デザイナーとしての面目が躍如としている。また、本図は、精選された絵具の優秀さや賦彩の美しさの点でも、抱一代表作の一つであるといえる。共箱の箱書に「文政三年庚辰五月端午日 君山家蔵」とあることから、抱一が六十歳のときの作品であることがわかる。

「伊勢物語 西の対図」 伝 俵屋宗達 江戸時代

『源氏物語』や『伊勢物語』などの物語絵は、古典美の復興と転生を願った宗達が好んで取り上げた画題である。宗達筆と伝えられる伊勢物語図は、現在四十七図が伝えられており、いずれも無款でほぼ同じ大きさの色紙形に描かれ、そのうちの五図を除くすべてに詞が書かれている。その裏書から、能書家の公家や町衆などが詞書を寄り合い書きした揃物であったことが知られる。この図は『伊勢物語』中、「西の対」の段で、在原業平(ありわらのなりひら)とされる男が、かつて懸想した貴婦人(二条后宮)の旧屋を訪ねる場面である。画中の人物像は、繊細な目鼻立ちの引目鉤鼻 (ひきめかぎはな)風に描かれ、金雲に溶けこむように、建物や背景の山々が描かれる。画面に表れるこうした夢幻的情感が、宗達筆といわれる彩色物語絵の特色である。
(詞書)月やあらぬ春やむかしのはるならぬわか身ひとつはもとの身にして

「秋好中宮図」 尾形光琳 江戸時代

大振りの唐草文様を染めた几帳を背に、十二単衣をまとった中宮が坐す。その前には、真っ赤に色づいた花紅葉をのせた箱蓋が置かれている。『源氏物語』第二十一帖「少女(おとめ)」に取材した作品で、秋を好んだ中宮の、宮中におけるある一日の物語を、雅びやかな情趣を漂わせながら再現したように描いている。光琳画には、同じ主題でこの図と対になるとされる中宮の侍女の立ち姿を描いた「秋好中宮侍女図」(個人蔵)が遺されている。光琳のやまと絵を代表する作品の一つである。尚、本図は池田孤邨の『光琳新撰百図』(慶応元年)に収録されている。

重文 「吉祥天曼荼羅図」 鎌倉時代

吉祥天は、福徳を司る女神として信仰を集め、古来多数の彫像や画像が制作されてきた。この図は、左手に宝珠を捧げ、右手を与願印とする吉祥天を中尊として、両脇に梵天(ぼんてん)と帝釈天(たいしゃくてん)を配し、その上方に四天王を描く。図の上方には、散華供養(さんげくよう)する飛天と雲に乗った白象が配され、下方には、橋の架かった蓮池が見え、美しい紅白の蓮華が花開き、そのかたわらで一人の僧が香炉を持って供養している。この図様は、中国の阿地瞿多(あじくた)訳の『陀羅尼(だらに)集』第十に説かれているものであるが、本図のような彩色画の遺例は少ない。白象の描かれている画面上部の絹は後補だが、全体の図様は、当初の姿を伝えている。教王護国寺(東寺)伝来。

「鹿下絵和歌巻断簡」絵 俵屋宗達・書 本阿弥光悦 桃山~江戸時代(17世紀)

さまざまな姿態や動作を見せる鹿の群像を俵屋宗達が金銀泥で描いた料紙に、本阿弥光悦(1558~1638)が『新古今和歌集』の和歌二十八首を選んで書いた「鹿下絵和歌巻」の断簡である。もとは一巻の巻子本で、第二次大戦後二巻と数幅に分割された。鹿のみの単一な題材をフルに生かした表現法には宗達ならではの技量が感じられる。下絵に見事に調和した光悦の装飾的な書の趣致には、他の追随を許さない斬新さが窺える。現在、シアトル美術館に所蔵されている後半部の一巻の巻末に「徳友斎光悦」の款記と「伊年」の朱文円印が見られる。「徳友斎」の号は、光悦が鷹峯に移る以前に主として使用していたものと考えられている。