3室 近代日本の美術 作品解説

作品解説 索引

 

■広重「東海道五十三次」Digital Remix

 
 

■その他のコレクション

 
 

 

展示室3 日本近代美術

仙境春酣

富田渓仙
本図は、文人画形式による春たけなわの仙境の図で、縦長の画面を巧く生かしている。険しい奥山の仙境を、遠景に薄く淡い絵具を用いて距離感を出し、松の間に咲く満開の桜の色が、緑の絵具に墨を加えてにじむ松の色に映え、美しい色調を奏でている。

 

速水御舟 昭和3年(1928)
本図は、胡瓜(きゅうり)をかじる一匹の鼠を描いた小品で、対象物を画面の左側によせ、右方に大きく空間をとっている。鼠の肌は細緻な線描をほどこし、胴体をくねらし胡瓜をかじる鼠の表情は生々しく克明で、御舟の鋭い目が感じられる。

 

渓流

速水御舟 大正8年(1919)
御舟は、今村紫紅(いまむらしこう/1880–1916)から強い影響を受け、41才で没するまで、日本画の近代化を追求した。本図は、塩原温泉にて制作され、箒川(ほうきがわ)の対岸と曲折する急流を強い緊密感をもって構成している。

 

青麦

速水御舟 大正14年(1925)
初夏の風わたる青々とした麦畑を描く。その一隅におりた雲雀(ひばり)には、あたりを警戒する緊張感がある。上半分を大きく空けた画面構成は、自然の広がりを感じさせ、そこにある小さな生命感の表出に、御舟の画境がしのばれる。

 

嵐峡烟雨

橋本関雪 昭和15年(1940)
烟雨にけむる岩肌の深い谷間の風景を描いた作品で、烟雨によって崖上の松が見え隠れし、ほのかに咲きのこる山桜が微妙な色調をみせている。また、筏に乗る人物の小さな存在が、画面全体を引きしめ、情趣を深めている。

 

伊都岐島

前田青邨
厳島の社殿に詣でる人々と奉納舞楽の情景を色彩豊かに描いている。人物描写には平家物語に登場するような風俗表現がみられ、有職故実(ゆうそくこじつ)の研究にも力を注いだ青邨の制作態度がうかがえる。

 

瓶花

小倉遊亀
昭和25年(1950)
本図はくちなしの花を赤絵の鉢に生けた静物画で、鋭い観察力で描かれた花や鉢は、背景の近代的な空間処理により、実在感がより強く表現されている。線描と没骨描法(もっこつびょうほう)を用いた作風には、日本画と西洋画の手法を調和させようとした試みが感じられる。

 

彩磁瑞花祥鳳紋様花瓶

板谷波山 大正5年(1916)
40代前半に大作を次々に制作した中の一つで、大正5年の第56回日本美術協会展に出品されている。ゆったりとした曲線をもつ壺の表面に、誇らしげに両翼を広げる鳳凰を描き、地には唐草文を豪華にめぐらしている。

 

葆光彩磁和合文様花瓶

板谷波山 1910代後半
青海波の地文の三方に窓をとって、「比翼の鳥」、「連理の竹」、「合歓の蓮」を描き、窓と窓の間に、「比翼」「連理」「合歓」の文字を入れている。半透明の光沢をおさえた釉が、文様を柔らかく透けて見せている。

 

10

蓮に蛙

竹内栖鳳 昭和2年(1927)
蓮の葉が鮮やかな色彩を放つ池の中で、1匹の蛙が水面を泳いでいる。栖鳳は四季の草花を自庭に植え、季節ごとの表情を楽しんでいたという。蓮もその一つで「実に上品な、柔らかいよい色彩」だと気に入っていた。

 
11

青磁鯉耳花瓶

板谷波山
中国陶磁に学んだ作品の中でも、青磁の作品は大きな割合をしめている。本作品は龍泉窯(りゅうせんよう)の砧(きぬた)青磁を手本とする鯉耳を付けた花生である。

 

12

富嶽

竹内栖鳳
富士山頂のあたりを描き、左下に添えられた樹木が裾野の広がりを感じさせる。晩年、湯河原に暮らした栖鳳は、熱海と箱根を結ぶ景勝地・十国峠へ富士を見に足を運ぶこともあった。

 

13

花籃 郊壇窯青磁大壺写

飯塚琅玕斎 昭和29年(1954)頃
郊壇窯青磁大壺(MOA美術館所蔵)を竹で写した作品で、鎧を綴る「寛斉綴(かんさいつづり)」という編み方を用いて制作された。細かく割いた竹ひごを緻密に編み込んで強固な曲面を形作り、全体に重厚感を創出している。

 

14

柳鷺

竹内栖鳳 昭和9年(1934)頃
柳の古木に片足をあげて一休みする白鷺を描いている。葉の濃緑に対して鷺の白さがよく映えた作品である。

 

15

佐藤玄々(清蔵) 昭和19年(1944)
玄々は大正時代、パリに派遣され、帰国後は西洋彫刻の量や塊を意識し、動物彫刻に取り組んだ。本作品はルーブル美術館で観たエジプト彫刻の影響を受けるが、前脚を開いて後ろを向く動的な姿は玄々独自のものである。

 

16

福徳無量 聖大黒天

佐藤玄々(清蔵) 昭和25年(1950)
古来よりの大黒天像に傑作が少ないことを憂いた玄々は「高度深度のものにしたい念願で」と、晩年、大黒天の制作に取り組んだ。この作品は荒彫り部分を残す等の工夫の上、華やかな彩色や截金を施している。

 

17

烏有先生

平櫛田中
烏有とは「烏(いずく)んぞ有(あ)らんや」即ち「何でもない」という意で、前漢の文人が生んだ架空の人物である。モデルは田中が親しくしていた田畑辰三という老人で、田中が感じた彼の人柄がよく表現されている。

 

18

霊亀随(不老)

平櫛田中 昭和12年(1937)
旧広島藩主で、当時90歳を超えていた浅野長勲(あさのながこと)公の悠然とした姿に感銘を受けて制作された。福徳円満な人物には、長寿のシンボル・亀がついて行くという中国の故事から着想を得ている。