北斎 冨嶽三十六景 Digital Remix 作品解説
作品解説 索引
■北斎「冨嶽三十六景」Digital Remix
■その他のコレクション
展示室1
1、冨嶽三十六景
神奈川沖浪裏
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
鉤爪(かぎづめ)のような波頭を見せる大波が3艘の押送船に崩れ落ちようとするなか、富士が静かな姿をみせる。櫓を引き上げてバランスをとる漕ぎ手達の動きが緊張感を生んでいる。自然の力と人間の姿を思い切った構図で表現している。
2、冨嶽三十六景
山下白雨
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
雲を突き抜けて富士がそびえ立ち、山裾には稲妻が光っている。天上の快晴と、雲下の薄暗い夕立(白雨)という、相反する気候を一図に込めた作品である。雷鳴のとどろく中に屹立する富士の姿からは、高さと迫力が感じられる。
3、冨嶽三十六景
遠江山中
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
斜めに大きく描いた材木の上で木を挽く樵夫を中心に、山の中の樵夫一家の働く姿を描く。足場、材木、富士による三角形を駆使した構図がおもしろい。立ち昇る煙の線彫りやぼかしなど、摺りの技も高度である。
4、冨嶽三十六景
尾州不二見原
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
尾州不二見原は、現在の名古屋市中区富士見町付近と思われるが、実際に富士を望むことはできない。大きな桶枠の丸と小さな富士の三角形による幾何学的な組合せに、北斎の奇抜な趣向が伺われる。
5、冨嶽三十六景
甲州三坂水面
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
甲府から富士吉田に抜ける三坂(御坂)峠は、眼下に河口湖がひろがり、富士の全貌が間近に見える。本図では、富士が夏姿であるに対し、湖面に映る逆富士は、頂に雪をいだく冬姿になおり、不思議な図である。
6、冨嶽三十六景
東海道程ヶ谷
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
松並木の間から秀麗な富士が姿をみせる。程ヶ谷宿近くの品野坂の景である、路上には一息入れる駕籠かきや虚無僧、馬上の旅人などを配したのどかな街道風景である。
7、冨嶽三十六景
凱風快晴
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
本図は、三十六景中の最高傑作として名高く、俗に「赤富士」と呼ばれている。南風を受ける晴やかな早朝の富士である。藍・緑・褐色のシンプルな色彩で、富士の限りない偉容と迫力を遺憾なく表現している。
8、冨嶽三十六景
甲州犬目峠
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
犬目峠(山梨県北都留郡)は、甲州街道の甲州と武州の国境にあたり、富士の眺望がよい名所であった。図は、坂のあるのどかな街道の風景で、桂川の渓谷から白雲が湧き起こり、その彼方に雪をいただく富士がそびえている。
9、冨嶽三十六景
武州千住
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
千住(足立区)の宿はずれの水門の前で、馬子が荒川堤を隔てて富士を仰いでいる。さらに釣人2人を描き添えた静かな田園風景で、水門の柱の間から富士を見せた北斎ならではの構図である。
10、冨嶽三十六景
武州玉川
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
玉川(多摩川)は、六玉川のひとつで、江戸近郊の行楽地として多く描かれてきた。本図は、玉川を見下ろすように描写し、霞を隔てて富士をみせている。斜めに配された川には、不定形な線を重ねた独特の波文が描かれている。
11、冨嶽三十六景
信州諏訪湖
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
二本の大きな松と小さな社(やしろ)のある高台から諏訪湖を眺め、そのかなたに富士を望む。湖の中ほどに見えるのは高島城である。諏訪湖から遠く富士が見えることはよく知られていたようで、渓斎英泉、歌川広重らもその光景を描いている。
12、冨嶽三十六景
駿州江尻
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
江尻は、清水港のほど近くにある。本図は、富士山麓特有の強風に難儀する旅人と、対照的に泰然とした富士を輪郭線だけで描く。菅笠や懐紙が風に吹き飛ばされ、樹木が傾くほどのすさまじい風の情景を描写している。
13、冨嶽三十六景
上総ノ海路
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
房総方面に向かい、大きく帆をはった二艘の五大力船が江戸湾を航行する図である。北斎は船などの機構に強い関心を示し、それらの構造の精密な描写を好んだ。ゆるやかな弧を描く水平線が海洋の広がりを伝えている。
14、冨嶽三十六景
東海道吉田
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
柱や梁の奥、窓枠で切り取られた富士は画中画のようである。男の笠、腹掛けの「永」「寿」の字と巴に山形印は、版元の永寿堂を示す。図中の「根元吉田ほくち」とは、火を移すための火(ほ)口(くち)のことで吉田の名物であった。
15、冨嶽三十六景
登戸浦
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
登戸(のぼと)は、東京湾に臨む千葉の海岸で、貝類がよく採れたという。登戸祠(のぼとほこら)の二つの鳥居と汐干狩をする漁民を描き、鳥居の間から富士をみせている。漁民たちの生き生きとした動きも、みどころのひとつである。
16、冨嶽三十六景
隅田川関屋の里
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
関屋の里は、現在の足立区千住関屋町にあたる。図は、堤を走る早馬三頭と田面にたなびく霞のかなたに赤富士を描く。朝靄をついて疾駆する早馬の描写が巧みで、静かな情景にあわただしい動きをみせる。
17、冨嶽三十六景
相州箱根湖水
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
箱根芦ノ湖を俯瞰したもので、湖水を隔てて富士を望み、右手湖畔には箱根神社を描く。多用された霞と鋭く立つ杉木立、また人物を排した画面は、霊場の厳かな雰囲気をよく表現している。
18、冨嶽三十六景
相州江の嶌
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
江の島は、物見遊山や弁才天参りの人々で賑わい、江戸庶民に親しまれた。図は、片瀬海岸より江の島の町並を眺め、干潟を江の島へ渡る人々を小さく描く。藍と空摺りの点描で表現された浜辺の波が印象的である。
19、冨嶽三十六景
東海道江尻田子の浦略図
葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
田子の浦は、万葉集以来よく題材として扱われた名所である。本図は、海上から富士を眺めたもので、近景に荒波に浮かぶ二艘の漁船を大きく配し、中景には塩田のありさまを描く。海の色が美しく、波の描写が巧みである。
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港浜風俗図屏風
江戸時代 17世紀
 
右隻には砂浜に塩釜が、左隻に尾道の千光寺の塔らしきものが見えており、瀬戸内の山陽筋の風景を描いたものと思われる。近世初期の風俗画は京都の風物を主題としていることが多いが、本図は、地方の風物を取り上げている。