展覧会
蔦重の眼 歌麿・写楽と浮世絵黄金時代
2025.07.25(金) - 2025.09.09(火)

概要
本展では、蔦重が手がけた歌麿・写楽の錦絵をはじめ、天明・寛政期から文化・文政期に活躍した鳥居清長(1752〜1815)、歌川豊国(1769〜1825)、葛飾北斎(1760〜1849)らの作品を展観し、浮世絵黄金期の魅力をご紹介します。また、蔦重が生まれ育った吉原や、本屋・耕書堂を構えた日本橋など、ゆかりの地の名所絵を、独自に取材した現在の風景写真とともに展示し、江戸の町の賑わいも併せてご覧いただきます。
主な展示作品
「歌撰恋之部 物思恋」 喜多川歌麿 寛政5〜6年(1793-94) 個人蔵
「歌撰恋之部」は背景を紅雲母摺(きらずり)とした5枚揃いのシリーズ。「恋」をテーマに、年齢や境遇が異なる女性の姿を描き出し、それぞれの恋の諸相が仕草や表情で描き分けられている。本作は、眉を落とした既婚の中年女性が頬杖をつき目を細めて物思いに耽っている姿を描き、シリーズ中随一の一品として評価が高い。
「当世踊子揃 石橋」 喜多川歌麿 寛政5〜6年(1793-94) 個人蔵
「当世踊子揃」は踊りを得意とした芸者を描いた揃物で5作品が知られている。ともに吉原芸者などをモデルにしたようであり、正式な歌舞伎の扮装を省略している。「石橋」は能から影響を受けた獅子の舞踊で、牡丹の花の作り物と紅の八巻、長く垂れた髪で獅子を表現している。本作は世界にこの一枚しか存在が確認されていない貴重な作品。
「婦女人相十品 文読美人」 喜多川歌麿 寛政4〜5年(1792-93) MOA美術館蔵
本図は、手紙を読む町人の女房を描き、その顔の表情や両手の描写から、心の動きがありありと感じられ、歌麿の非凡な表現力を見ることができる。背景は雲母摺りである。
「市川鰕蔵の竹村定之進」東洲斎写楽 寛政6年(1794) 個人蔵
寛政6年5月に河原崎座で上演された「恋女房染分手綱」に取材した作品で、写楽作品の代表作である。不義密通の露見した腰元・重の井の父である丹波城主・由留木家抱えの能役者・竹村定之進が、その責めを負って切腹をする。この図は、城主の前で切腹する直前、または切腹後に苦痛を隠して現れる陰腹の演出場面と考えられている。背景は黒雲母摺。
四代目松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛 東洲斎写楽 寛政6年(1794) MOA美術館蔵
宮ぎの・しのぶ姉妹の仇討ちを助ける仁侠役の四代目松本幸四郎を描く。歌舞伎の演技演出に長じ、容姿も優れた松本幸四郎の風貌と貫禄を適確に表現している。
三代目市川八百蔵の不破伴左衛門と三代目坂田半五郎の子育て観音坊 東洲斎写楽 寛政6年(1794) MOA美術館蔵
寛政6年(1794)都座の「傾城三本傘」を演じる悪役三代目市川八百蔵(1747-1818)と三代目坂田半五郎の舞踊を描いている。三代目八百蔵は二代目沢村宗十郎の子で、舞台に風格があり舞踊にも優れた。
「風流無くてなゝくせ ほおずき」葛飾北斎 享和期(1801~04)頃 二代目蔦屋重三郎版 個人蔵
「無くて七癖」は癖がないといわれる人でも最低7つの癖はある、という意味のシリーズで、2図が確認されている。背景には白雲母が摺られた豪華な版で、可候の落款や画風から享和期頃(1801-04)の作品と思われる。改印がなく、寛政12年(1800)1月に、大首絵を禁止する町触れがあった影響と考察されている。髪を下ろした娘がほおずきを口にくわえており、手前の娘は歯を鏡に映して何かを拭い取ろうとしている。非常に希少な北斎美人大首絵の名品で現在世界で2枚しか確認されていない。
「青楼明君自筆集 瀬川の図」 北尾政演(山東京伝)画 天明4年(1784)回向院蔵
一図に、当時の吉原の著名な遊女二人を、新造・禿らを含めて描き、上部に遊女の自筆の狂歌や詩を彫り摺り出した七図揃いのうちの1つ。蔦屋が日本橋進出を記念して刊行したと思われ、翌年には画帖に仕立てられている。見開きが大奉書全紙の大きさ(大判2枚分)という贅沢な作品で、吉原側からの支援も受けたと思われる。本図は、正月の座敷における吉原でも格式高い松葉屋抱えの瀬川と松人を描く。本図は「青楼名君自筆集」という題名、政演の署名、蔦重の版元印などが具わっている。政演(山東京伝)の代表作。