国宝「喜左衛門井戸」× 国宝「色絵藤花文茶壺」
茶の湯のわびと雅

国宝「喜左衛門井戸」×  国宝「色絵藤花文茶壺」茶の湯のわびと雅の画像

概要

茶の湯の二大国宝、初の同時展観!
茶の湯は12世紀に中国から請来した喫茶法をもとに、今日まで長い年月をかけて、総合芸術として、日本を象徴する文化へと昇華してきました。室町時代、中国より舶来した唐物を愛好する風潮が、足利将軍家を中心に流行し、それらを室内に飾ることで権威を示しました。15世紀末には、珠光(1423 ?~ 1502)が草庵の侘び茶を唱え、その茶風は堺の豪商武野紹鴎(1502 ~ 55)により町衆らに浸透し、千利休(1522 ~ 91)によって大成されました。その後も自己の美意識にかなった新しい道具を創造する茶人たちによって、幅広い分野に影響を与えながら発展してきました。
この度の展覧会では、日本人が愛好する「侘び」と「雅」の文化を象徴する国宝「喜左衛門井戸」(孤篷庵)と国宝「色絵藤花文茶壺」(MOA美術館)の二大国宝を同時展観します。また、MOA美術館のコレクションから厳選した茶道具の数々を取り合わせて展観し、茶の湯の魅力に迫ります。

国宝「喜左衛門井戸」×国宝「色絵藤花文茶壺」 わびと雅

日本人が愛好する「侘び」と「雅」の対照的な文化を象徴する名宝として、国宝「喜左衛門井戸」(孤篷庵)と国宝「色絵藤花文茶壺」(MOA美術館)の二大国宝を同時展観します。



国宝 大井戸茶碗 銘 喜左衛門
朝鮮時代16世紀 孤篷庵所蔵

豊臣秀吉や千利休によって茶の湯の文化が大きく発展した時代、朝鮮半島で作られた高麗茶碗が注目され、中でも井戸茶碗と呼ばれる茶碗は、天下一の茶碗として代表的な武将や茶人が所持しました。本展で紹介する国宝「喜左衛門井戸」は、大坂の町人竹田喜左衛門が所持していたことからそう呼ばれ、井戸茶碗の最高峰として古くから名高い茶碗です。江戸時代後期には松平不昧が愛玩し、のちに不昧の夫人・静楽院により大徳寺孤篷庵に寄進されました。



国宝 色絵藤花文茶壺 野々村仁清
江戸時代17世紀

野々村仁清は、京都の仁和寺門前において、正保4年(1647)頃窯を開き、雅な王朝文化を基本とする金彩や色絵の陶器を製作しました。これは京極家旧蔵の茶壺で、道具帳によって、延宝元年(1673)頃と制作年代が推測できる作品群の一つです。上方の赤い蔓から放射状に藤の花が垂れ下がるため、どこから見ても構図に破綻がありません。花穂は、赤、銀、紫の3種で表現され、緑の葉には一枚一枚葉脈を施しています。仁清の色絵茶壺の中でも最高傑作と言われています。


利休の美意識を具現化した究極の侘び茶碗

黒楽茶碗 銘 あやめ 長次郎 桃山時代16世紀

斬新な意匠の入れ子茶碗

重文 色絵金銀菱文重茶碗 野々村仁清
江戸時代17世紀

展示構成

第1章 足利将軍家と茶の湯
室町時代、中国製の「唐物」を集めて室内を飾り、それらを用いて茶を喫する茶風が権力者たちの間に広まりました。特に足利将軍家には多くの「唐物」が収蔵され、同朋衆による評価・分類によって座敷飾りの法が定められました。本章では「東山御物」とよばれる足利将軍家収蔵の道具を中心に関連する茶道具を紹介します。

大名物の唐物茶入

唐物羽室文琳茶入 大名物 中国 南宋時代12~13世紀

6代将軍足利義教の鑑蔵印「雑華室印」が
捺される梁楷の名品

寒山拾得図 伝 梁楷筆中国 南宋時代13世紀

第2章 戦国武将と茶の湯
戦国時代、織田信長(1534-1582)は茶の湯が隆盛をきわめた堺を支配し、「名物狩り」と呼ばれる茶道具の強制買収を行って、政治に活用しました。信長には、堺の今井宗久(1520-1593)、津田宗及(? -1591)、千利休(1522-1591)といった茶人が仕え、「天下三宗匠」と呼ばれました。続く豊臣秀吉(1537-1598)も、彼らを茶頭とし、大徳寺や北野天満宮で大茶会を開催するなど、茶の湯の文化をより広範囲に拡大していきました。その他、徳川家康や伊達政宗といった戦国武将が所持した名品も紹介します。

伊達政宗が所持した侘びた趣を持つ
天目茶碗

灰被天目茶碗 銘 秋葉 中国 南宋~元時代13-14世紀

織田信長が所持した掛物

叭々鳥図 伝 牧谿 中国 南宋時代13世紀

第3章 織部・遠州と茶の湯
古田織部は信長、秀吉に仕えた武将であるとともに、利休の弟子として密接な関係を持ったと伝えられ、利休没後、次第に「茶の湯の名人」として知られるようになりました。織部が取り上げた道具は、力強い造形による伊賀焼の花入や水指、「へ
ウケモノ」と表現されるややひずみをもった茶碗など、武将好みの華やかさを特徴としています。小堀遠州は、古田織部に師事したといわれ、徳川将軍家の茶道指南役として活躍した茶人です。高取など国焼の茶入に好みを反映させるとともに、中国に注文して作らせた古染付や祥瑞など華やかな器も茶席に取り入れました。また、和歌にちなんだ銘をつけるなど、平安の貴族文化を憧憬しつつ、「きれいさび」と称される格調高い新たな茶風を確立しました。

遠州が茶席の掛物として取り入れた
平安時代の古筆切

寸松庵色紙 平安時代11世紀後期

変化のある造形とビードロ釉、焦げなど、
伊賀の特徴をみせる

伊賀耳付花入 桃山時代17世紀初期

第4章 琳派と茶の湯
本阿弥光悦(1558 ~ 1637)や尾形光琳(1658 ~ 1716)、尾形乾山(1663 ~ 1743)といった琳派の芸術家たちも、古典への憧憬によって装飾性の高い独自の様式を確立する中で、茶の湯を愛好し、茶道具を制作しました。本章では、琳派の芸術家たちが茶の湯に持ち込んだデザインに注目し、その魅力的な茶道具の数々を紹介します 。

秋の和歌と金銀泥による鹿の意匠

鹿下絵新古今集和歌巻断簡 (書)本阿弥光悦・(画)俵屋宗達桃山~江戸時代17世紀

素材の用法やデザインに光琳蒔絵の特色がみえる

水葵蒔絵大棗 (伝)尾形光琳 江戸時代18世紀