夢窓疎石墨跡 一行書
データ
作者 | 夢窓疎石 |
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時代 | 鎌倉時代(14世紀) |
素材・技法 | 紙本墨書 一幅 |
サイズ | 106.7×29.0㎝ |
解説
夢窓疎石(1275~1351)は、円覚寺開山無学祖元の法孫にあたり、南北朝対立時代に、南朝の後奈良天皇や足利尊氏・直義兄弟のみならず、北朝の光厳・光明両院からも篤い帰依を受けた名僧である。南禅寺、浄智寺、円覚寺の諸寺に住し、天竜寺、相国寺の開山となった。門下には春屋妙葩(しゅんおくみょうは)、義堂周信(ぎどうしゅうしん)、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)など逸材が輩出し、自らは後醍醐天皇以下七天子の宸問に対(こた)えたので、「七朝の帝師」と仰がれた。疎石は書を能くし、ことに草書にすぐれた書技を発揮し、古来より、禅林墨跡中、一山一寧(南禅寺第三世住持)の書に次ぐものと称された。本図の「萬般此の道に存す」と書かれた墨跡は、まさにその代表作といえるもので、薄墨の伸びやかな筆跡の内に、夢窓の広く温容な人格をしのばせる。