入浴美人図(寒泉浴図)
データ
作者 | 喜多川歌麿 |
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時代 | 江戸時代(18世紀) |
素材・技法 | 絹本著色 一幅 |
サイズ | 98.5×48.3㎝ |
解説
喜多川歌麿(1753?~1806)は、初め鳥山石燕(せきえん)に師事し、北川豊章(とよあき)と称して鳥居清長(きよなが)風の錦絵を描いていたが、天明(1781~89)の初め頃、当時有力な版元蔦屋(つたや)重三郎に見出され、寛政期(1789~1801)には歌麿独自の美人画様式を作り上げた。本図は、歌麿の最晩年の肉筆画で、風呂に入ろうとする女性の後ろ姿を描き、浮世絵では珍しい裸体美を大画面に扱っている。風呂桶などの写実的な描写に対し、女性の肌の柔軟さや襟足の優美な描写が、歌麿ならではの日本女性の理想的な美しさを描き出している。賛は蘭湯に浸る中国前漢の女官昭儀(しょうぎ)の故事をうたったものである。賛者の鶯谷吏垣(おうこくりこう)は、狂歌で名高い大田蜀山人(しょくさんじん)(鶯谷隠士)のことで、両者の関係から寛政11年(1799)頃の作と思われる。
(賛詩)
蘭湯灔々昭儀
坐其中若三尺寒泉
浸明玉
録飛燕別集語
鶯谷吏垣