展覧会
光る海 吉田博展
2025.12.20(土) - 2026.01.27(火)

概要
博の作品のほとんどは自ら体感した風景画で占められており、その取材範囲は、日本はもとより世界各国に及んでいます。
特に、後半生に傾倒した私家版木版画では、浮世絵版画の伝統的な技法に、油彩画のタッチと水彩画の色彩表現を用いた洋画技法を取り入れ、未開拓の新しい芸術を創造しました。
本展では、刻一刻と変化する海を捉えた「瀬戸内海集」シリーズや、合計7年間を超える外遊から生まれた「米国シリーズ」、「欧州シリーズ」など、木版画の代表作約70点を展観します。また、博が描いた風景の現在の姿を撮影し、独創的な技術で表現された作品の魅力をオリジナル映像で比較展示します。
みどころ
1 博が描いた風景と、その現在の姿を比較展示
博が描いた作品の場所を、当館スタッフが独自に取材し、撮影しました。空気までも描いたといわれる博の作品とともに、現在の風景を映像や写真パネルで比較展示します。
2 世界の風景に取材した吉田博の代表的な木版画作品を展示
初めての私家版木版画「米国シリーズ」や、刻一刻と変化する海を捉えた「瀬戸内海集 帆船」など代表作品を展示します。
3 高精細画像を使用したオリジナル映像を投影
博の木版画は、他に類をみない摺の多さが特徴の一つです。平均30回、多い時は100回近く摺を重ねることで、
豊かな色彩を生み出し、博が実際に体感した自然の質感や立体感、空気感を表現しています。
吉田博について
吉田博(1876–1950)は、久留米藩士・上田束の次男として、 久留米市に生まれました。18 歳で上京して小山正太郎 (1857-1916)の主催する画塾・不同舎に入門し、本格的な画業を開始しています。明治 32 年(1899)、23 歳の時、描き溜めた水彩画を携え、 1か月分の生活費のみを持って、後輩・中川八郎とともに決死の渡米を行いました。この時、デトロイト美術館等での展示即売会の大成功によって資金を得て、ヨーロッパも巡って 2 年後に帰国しています。さらに 2 年半後には、のちに夫人となる義妹ふじをと共に再び渡米し、3年以上をアメリカ、 ヨーロッパで過ごしました。これらの外遊によって古今の西洋美術に触れると共に大いに画技を磨き、日本最初の洋画団体である太平洋画会の中心人物として活躍しました。大正 9 年(1920)、44 歳の時、版元渡邊庄三郎との出会いにより、初めての木版画「明治神宮の神苑」を出版しました。 当初は版画の下絵を制作する程度でしたが、関東大震災後、 被災した太平洋画会会員の作品販売を目的に渡米した際、米国で日本の版画が大変な評判であることを知り、自ら習得した西洋の写実的な表現と日本の伝統を生かした新しい木版画創造の必要性を実感するに至りました。帰国した大正 14 年 (1925)、49 歳の時、初めて自ら監修した木版画の作品を発表し、その後の後半生は油彩画と並行し木版画の制作に情熱を傾けました。