大童山土俵入

データ

作者 東洲斎写楽
時代 江戸時代(18世紀)
素材・技法 大判錦絵三枚続
サイズ 各 36.6×24.8㎝

解説

東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月から翌年1月までの十ヵ月間に約百四十種の役者絵・相撲絵を残している。役者の似顔をとらえることに巧みであった写楽は、本図のような相撲絵でも、力士たちの個性ある顔の特徴を見事にとらえている。大童山文五郎は、出羽の国村山郡長瀞村の百姓武左衛門の倅せがれ*として生まれた怪童で、数え年八歳で、身長一メートル二十センチ、体重八十キログラムあまりあったという。寛政六年十一月江戸両国の回向院での勧進相撲に七歳で登場し、土俵入りだけを演じて江戸っ子の人気を集めた。本図には、控え力士中に寛政七年正月に没した谷風が描かれているので、寛政六年の十一月場所、大童山が土俵に初めて登場した年の様子であろうと思われる。

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