国宝
手鑑 「翰墨城」 高野切
データ
作者 | 伝 紀貫之 |
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時代 | 平安時代(11世紀中期) |
素材・技法 | 紙本墨書 |
サイズ | 26.0×22.1㎝ |
解説
わが国最初の勅撰集として知られる『古今和歌集』は、延喜5年(905)に紀貫之らによって撰せられたが、当初の原本は今日ではすでに失われていて、その最古の写本の断簡として高野切がある。高野切の名は、この『古今和歌集』の巻九の巻頭部分を、かつて高野山文殊院の僧木食応其(もくじきおうご)(1536~1508)が豊臣秀吉から拝領して秘蔵したことによるとされる。高野切は、もとは仮名序に全二十巻を加えた二十一巻の巻子本で、この断簡は巻第九の巻末に近い部分である。料紙は雲母砂子(きらすなご)を一面に撒いた白麻紙を用い、優雅な連綿体と美しい墨継ぎで書写されている。品格のある料紙と格調高い書風とが相まって、平安朝貴族の高い美意識を物語っている。高野切の筆者は紀貫之と伝えられてきたが、現在では三人の筆者による分担執筆であるとされ、それぞれ第一種、第二種、第三種の名で呼ばれている。この断簡は第一種に属し、当代屈指の能書家によるものと思われる。
ふちはらのかねすけ
ゆふつくよおほつかなきにたまくしけ
ふたみのうらをあけてこそみめ
これたかのみこのともにかりにまかれ
りけるときにあまのかはといふところの
かはほとりにおりゐいてさけなと
のみけるついてにみこのいひけらく
かりしてあまのかはにいたるといふこ
ころをよみてさかつきはさせといひ
けれはよめる