宗峰妙超墨跡 秋風偈

データ

作者 宗峰妙超
時代 鎌倉時代(14世紀)
素材・技法 紙本墨書 一幅
サイズ 30.7×64.2㎝

解説

宗峰妙超(大燈国師 1282~1337)は、播磨国の人で諸禅師について学び、虚堂智愚の法を嗣いで帰朝した南浦紹明(なんぽじょうみん)(大応国師)の門に入り25歳でその法を嗣いだ。嘉暦元年(1326)京都紫野に大徳寺を開き、花園・後醍醐両天皇の帰依を受けた。妙超の墨跡は、禅機の横溢していることと、徳望の高いこと、一休、春屋、古渓、沢庵、江月、玉舟など墨跡界で有名な人の宗祖にあたるところから、古来わが国の墨跡中の第一とされている。その遺墨も多く伝存している。この墨跡は、妙超が法脈の師と仰いだ虚堂智愚の『虚堂録』にある上堂法語を揮毫したものである。夏安居(禅僧が、4月15日から7月15日の90日間門外不出で修行にうちこむこと)が終わり、秋の気配とともに修行に向かう雲水たちに対し、刻苦勉励すべきことを述べたものである。妙超は、建武4年(1337・南朝延元2年)12月56歳で没したが、この墨跡は大体50歳前後のものと思われる。
(訓読)
秋風淅(せき)々。秋水冷々。千辛萬苦。笈(きゅう)を負い簦(とう)を擔(にな)う。 「宗峰」朱文方印

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