その他建築
本館
地上3階から地下1階で構成された本館は、建築面積 5,471㎡、延床面積 13,898㎡、海抜270mの桃山の高台に位置しています。
メインロビー
1階から2階に吹き抜けた高さ8m、幅32mの全面ガラス張りの明るく開放感のあるロビーです。海の眺望がより美しく見えるように天井の高さを開口部へ近づくにつれて少し下げられています。
能楽堂
檜皮葺き・入母屋造りの屋根に、総檜造りの能舞台です。鏡板の松は松野秀世氏が揮毫しています。能楽鑑賞以外に多目的に活用できるように、屋根はつり下げられており、目付柱、ワキ柱が脱着可能になっています。
インド砂岩
自然環境にマッチした色と質感を持つ、インド産砂岩を外壁に採用しています。数回にわたってインドの産地(デカン高原)で現地調査を行い、色の選定、確認、強度などの検査を経て決定しました。
アートストリート
入口からムアスクエアまでの高低差48.5m、距離203.5m、階段数は305段あります。
エスカレーター
ボックスカルバートによるオープンカット方式という施工方法で、斜面に溝を造り、鉄筋コンクリート造で通路施工後、盛り土をして、元の山に復元しています。約25m~35mのエスカレーターが上下8基設置されており、所要時間約10分でムアスクエアに到着します。
円形ホール
直径約20m、高さ約10m。地下に造られたドーム状のホールです。
ドームの天井は花弁状に組み合わせた230枚のGRC(グラスファイバーコンクリート)でデザインされ、壁と床は大理石を使用しています。床にはイタリア、ポルトガル、インド、イラン、キューバ、ギリシアの6ケ国から集めた大理石が幾何学模様に組み合わされています。
茶の庭
茶室「一白庵」、光琳屋敷などが併設された庭園です。150本のもみじと季節の草花が植えられています。
光琳屋敷
尾形光琳が最晩年を過ごし、国宝「紅白梅図屏風」を描いたと考えられる屋敷を、自筆の図面と大工の仕様帖(重文尾形光琳関係資料〈小西家伝来〉京都国立博物館)に基づき復元しました。 2階に絵所(アトリエ)が、1階には5畳半と3畳の茶室が設けられ、江戸時代の上層町衆の数寄屋建築が見られます。
樵亭
備前池田藩の筆頭家老・伊木三猿斎(1818~1886)ゆかりの茶室です。 「樵亭」の名称は、この茶室の襖絵には当館所蔵の重要文化財・伝光悦作「樵夫蒔絵硯箱」に見られる樵夫の図様と類似した図が描かれているのにちなんで名付けられました。
唐門
もと神奈川県大磯町の三井家別邸城山荘内にあったものです。
片桐門
豊臣秀吉の重臣で、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる片桐且元が奈良・薬師寺の普請奉行をつとめた際の宿舎の正門です。その後、奈良の慈光院、大磯町の旧三井家別邸城山荘を経て当館に移築しました。
一白庵
赤松材で作られた茶室は、大寄せ茶会にも対応できるよう、大勢が同時に拝服できる立礼の席が設けられています。その他書院造りの大広間、その奥に7畳の広間、三畳台目の小間、水屋があり、屋根は銅板で葺いて一棟にまとめられた大規模な数奇屋建築です。 設計は、茶室設計の第一人者である江奈守比子氏で、ワシントンにある日本大使館の茶室も設計しています。
石造宝塔
仏塔には宝塔、重層塔などがあり、本来は釈尊の遺骨(舎利) を安置するものでした。本石造宝塔は鎌倉時代の古塔として大変貴重で、塔身にある薬研彫りというV字形彫りの梵字は、鎌倉期の特色をよく表しています。 もと橋本関雪画伯の白沙村荘(はくさそんそう・京都)の庭内にあったものです。
石造国東塔
大分県国東半島に多い形式の石塔を国東塔(くにさきとう)とよんでいます。
元来は納経、供養などのために造立されたもので、鎌倉から室町時代の遺品が多く見られます。本塔は先端の火焔宝珠から基壇まで、まとまりのある姿を見せています。
当館に移される前は、昭和の大茶人・松永耳庵翁が旧蔵していたものです。
石造十三重宝塔
三重塔、五重塔というような重層塔は奇数が原則で、石造では三、五.七、九、十三重塔と各種あります。この十三重宝塔は先端の宝珠を欠くものの、形姿はよく整っています。
塔身にある薬研彫りの梵字が、力強い鎌倉期の特徴を伝えており、数少ない遺品の一つです。