展覧会
特別展 URUSHI 伝統と革新
2019.03.15(金) - 2019.04.16(火)
概要
日本は世界に卓越する工芸の伝統を有し、なかでも漆芸は、日本を代表する工芸として1300年以上の永い歴史を持ち、芸術的にも技術的にも高度の発達をとげ継承されてきました。
近代以降多くの漆芸家が、漆芸の近代化と普及に尽力して礎を築き、昭和30年には日本工芸会が発会し、日本伝統工芸展は作家らの活躍の場となりました。本展は、同会の漆芸部会展である日本伝統漆芸展が第35回展を迎えることを記念して開催するもので「江戸時代末期から戦前までの近代の名匠」、「重要無形文化財制度と日本工芸会」、「日本伝統漆芸展の開催」、「11名の重要無形文化財保持者を中心に現在活躍している作家たち」の4つのテーマを設け、近代から現代への漆芸の歩みを俯瞰します。
伝統的な技の継承とともに革新的な新たな創作に取り組んできた漆芸の世界をご堪能ください。
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第一章 近代の名匠
明治維新を迎えると藩お抱えの工人は職を失い、漆器需要の激減などにより、漆芸界は衰退したが、明治政府が進める殖産興業と輸出振興の政策のもと、工芸品の海外輸出を目的とした起立工商会社の設立 や産業奨励のための内国勧業博覧会が開催され、漆芸をはじめ日本の工芸界に活力を与えるようになる。
このようななか、江戸時代からの伝統的な技法を継承しながら、新しい時代に適した漆器の制作が模索された。幕府の御用蒔絵師幸阿弥の流れをくむ川之辺一朝は、江戸時代の大名道具に見られる風格と丹念な作風を継承し、小川松民は、古典作品の模造・研究に努め、日本画調の作風を強く打ち出した作品を制作した。白山松哉は、伝統的な蒔絵技法を高度に習得し、新しい感覚を持った繊細精巧な作風を作り上げた。
優れた漆芸家は次第に東京に集中するようになったが、京都、金沢にも高い技術は継承され、高松では、存清と蒟醬の技法を創始した玉楮象谷の一派とその流れを汲む人々が精良な仕事を続けた。
明治22年(1889)には、東京美術学校が開校し、国家による工芸教育の一環として漆工が取り上げられ、第一期の卒業生となった六角紫水は、色漆の開発、学術研究、保存修復など幅広い活動を行った。
明治23年(1890)、皇室による美術奨励のため帝室技芸員の制度が設けられ、漆工では、柴田是真、池田泰真、川之辺一朝、白山松哉がこの栄誉を受けた。
大正時代になると、農商務省図案及応用作品展覧会(農展)が催され、赤塚自得、迎田秋悦、二十代堆朱楊成ら次世代の作家の活躍の場となった。
蝶牡丹蒔絵沈箱 白山松哉 MOA美術館
第二章 無形文化財制度と 日本工芸会
第二次世界大戦後の日本は経済の復興に伴って急激な機械工業化が進み、徴兵によって指導者や後継者も激減したことで、伝統的な工芸技術は断絶の危機にさらされた。昭和25年(1950)に制定された文化財保護法では、貴重な技術の衰滅を止めるため、無形文化財の保護が新たに取り上げられた。
工芸技術や芸能など形の無い文化財をも保護するこの法により、昭和27年(1952)から29年(1954)の間に5回、計56件の工芸技術が「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定された。漆芸では磯井如真(蒟醬)、音丸耕堂(彫漆)、高野松山(蒔絵)、前大峰(沈金)、松田権六(平文)、松波保真(乾漆)などが技術記録を制作している。29年(1954)3月には、無形文化財に選定された技術、その技術を持つ人々、およびその作品を紹介する展覧会として、第1回無形文化財日本伝統工芸展が開催された。
同年12月の文化財保護法改正により、貴重な技術を重要無形文化財に指定し、その保持者を認定する、いわゆる人間国宝の制度が始まる。国の施策に対応して、民間でも伝統工芸の技術を守ろうとする気運が高まるなか、昭和30年(1955)7月、認定された作家たちが発起人となり、全国規模の工芸作家団体、社団法人日本工芸会が設立された。日本伝統工芸展の開催に始まり、技術記録作成と伝承者養成、後継者の育成など現在に至るまで、無形文化財制度を支える役割を果たしている。
本章では同会設立の中核となった松田権六をはじめとする、初期の重要無形文化財保持者五作家を紹介する。
蓬莱之棚 松田権六 昭和19年 石川県立美術館
第三章 日本伝統漆芸展へ
日本工芸会漆芸部会に所属する作家を中心として、日本伝統漆芸展が開催されたのは昭和59年(1984)からだった。日本伝統工芸展は前年第30回を迎えていたが、高度な技術が必要な漆芸では、新しい人が入選することは大変難しく、もっと多くの漆芸を志す若い人たちの発表の場を設けたい、広く漆芸を普及させたいとの思いもあったのではないだろうか。この展覧会を推進、主導したのは、当時日本工芸会漆芸部会長だった松田権六で、日本伝統漆芸展の実行委員長を務めた。第1回展 図録に載るあいさつには、伝統の継承と発展、現代生活との繋がり、漆芸の普及等、短い文章ながら熱い思いが述べられている。展覧会の開催場所も、東京の中心のひとつとして当時目覚ましい発展を遂げていた池袋だった。西武アート・フォーラム(西武池袋本店)での開催は、現在も継続されている。
第1回展は日本工芸会所属の漆芸家83人、出品点数111点だった。第2回展からは現在のように公募形式となり、文化庁長官賞をはじめとする賞が設けられるようになった。この章では初期の日本伝統漆芸展で指導的立場、中心作家として活躍した漆芸家のうち故人となったか、現在は現役を離れた作家を取り上げた。その多くは日本伝統工芸展でも活躍した人たちである。
蒔絵棚 煌めく 平成3年 田口善国 東京国立近代美術館
第四章 現在をつくる作家たち
この章では、現在、日本伝統漆芸展で活躍中の作家を取り上げている。重要無形文化財保持者11名をはじめ、平成29年(2017)の第64回日本伝統工芸展までに受賞したことのある作家、合わせて60名である。現在の漆芸界で中心的な活躍をしている人たちやこれからの伝統漆芸展を担っていく若手の漆芸家ということがいえよう。もちろんこの60名以外にも多くの優れた作家がいるが、陳列上の都合で人数を限定した。出品数は原則として、重要無形文化財保持者は一人2点、受賞経験者は一人1点とした。このなかには早くから活躍しているベテランから、出品し始めてからそれほど経っていない気鋭の作家までおり、技法や作風も多彩である。
重要無形文化財保持者は、多かれ少なかれ前章の作家たちと関わりを持っており、とりわけ松田権六に指導を受けるなど、その影響を受けた人たちである。他の作家も、世代的にそれぞれ違いはあるけれども、 直接、間接に影響を受けていることは確かであろう。これまでの伝統を受け継ぎながら、新しい時代の工芸を創作しようとしていることを感じさせる作家・作品である。伝統的な技法を確実に受け継ぎ、高いレベルで自らのものとした上で、現代の芸術として、技術はもちろん、漆の素材としての魅力を引き出すとともに、色や形、模様に工夫を加え、個性を重視した表現を示している。
またこれまで限られた地域でのみ行われていた技術が、全国的な広がりを見せていることや、さまざまな技法をひとつの作品のなかに併用してまとめ上げるなど、現代ならではの特徴が顕著な作品も多い。さらに、表面の装飾だけでなく、個性的な形を求める取り組みや、新しい材料、技法を積極的に用いるなど、作者の主張、独自性を出そうとする姿勢がうかがえる作品が多い。
瓢果蒔絵合子 室瀬和美 平成26年(2014) MOA美術館