展覧会

奇想の絵師 岩佐又兵衛 山中常盤物語絵巻

2017.03.17(金) - 2017.04.25(火)

義経伝説全12巻一挙公開

概要

主なみどころ

1.重要文化財「山中常盤物語絵巻」3年ぶりの全12巻一挙公開

重要文化財「山中常盤物語絵巻」は又兵衛絵巻の最高傑作として知られていますが、全12巻が同時に展示されることは滅多にありません。今回はリニューアルオープンを記念して3年ぶりの一挙公開となり、展示総延長は70メートルを超えます。またとない機会に、この絵巻の魅力を十分ご堪能ください。

2.写り込みのない低反射高透過ガラスで細密なディテールを見る

又兵衛絵巻の魅力の一つに、細部までゆるがせにしない丁寧な筆致と細密描写があります。リニューアルしたMOA美術館では、ガラスへの映り込みを気にすることなくなく、低反射高透過ガラスによって、ディテールまでじっくりと鑑賞することができます。しかも、本展では撮影も許可されており、より作品の魅力に迫ることができます。※ 三脚、一脚の使用など他のお客様にご迷惑をかける撮影はご遠慮いただいています。

3.所蔵又兵衛作品も同時公開 重文3件、重美3件の豪華な展示

MOA美術館は、重要文化財4点、重要美術品3点を含む14点の又兵衛作品を所蔵し、又兵衛を語る上で欠かせないコレクションをなしています。
本展では、「山中常盤物語絵巻」以外の又兵衛コレクションもあわせ重要文化財3件、重要美術品3件を展観します。奔放自在な描線の水墨画、静謐な物語絵、大和絵的な描法による歌仙絵など幅広い又兵衛の画業をご鑑賞ください。

 

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会期中のイベント

当館学芸員による美術セミナー

1.謎の絵師 岩佐又兵衛とその画業

日時 平成29年3月25日(土) 13:30-14:30
場所 MOA美術館スタジオ
料金 無料(入館料は別途必要)
定員 120人(先着順)

2.又兵衛絵巻について 「山中常盤物語絵巻」を中心に

日時 平成29年4月15日(土) 13:30-14:30
場所 MOA美術館スタジオ
料金 無料(入館料は別途必要)
定員 120人(先着順)

出品作品解説

山中常盤物語絵巻 伝 岩佐又兵衛勝以 江戸時代(17世紀)

紙本著色 12巻 34.1×全長15031.0㎝ 重要文化財

『山中常盤物語』は、義経伝説に基づく御伽草子系の物語で、奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に殺され、牛若がその仇を討つという筋書きである。慶長(1596—1615)・元和(1615—1624)・寛永(1624—44)にかけて、操浄瑠璃の一つの演目として盛んに上演され、この巻物はそれを絵巻物化したものである。詞書に見られる独特の表現から、浄瑠璃の正本(テキスト)にもとづいて制作されたものと考えられている。12巻からなり、各巻12メートルを超える長大な絵巻物である
又兵衛が描いたといわれる絵巻物群の中で、最も生気あふれる力強い作風で、岩佐又兵衛自身の関与が最も高いと考えられている。特に、巻2・3の常盤主従の道行きの場面などにおける自然や風俗の描写は巧みで、又兵衛の筆を感じさせる。巻4の常盤主従が盗賊に襲われ殺される場面や巻9の義経が八面六臂の活躍によって盗賊たちに仇討ちをする場面など、凄惨な場面の描写の鮮烈さは本図の特色となっている。巻4の常盤が刺される場面では、描かれた松樹が激しくうねりを見せ、次の場面ではぐったりとうなだれて表されるなど、場面の緊張感や人物の感情を、景物に託して描いているようである。古典絵画からの図様の転用が幾つか指摘されており、又兵衛の古典絵画へ深い造詣があったことが窺われる。
絵巻の表紙は、唐獅子模様を織り出した豪華な金襴で、見返しは金箔である。軸付紙の菊花流水空押し文様のある料紙が、越前藩主であった松平忠直の署名がある稲富流鉄砲伝書『直矢倉之巻』にも用いられていることから、本絵巻の制作にあたり越前松平家が関与していたことが想定される。
制作時期は、又兵衛の福井在住期である元和末年から寛永初年頃と推定されているが、料紙装飾や装丁の面から慶長後半から元和初年頃まで引き上げる説もある。
越前藩主松平忠直の子光吉が転封となった先の津山藩主松平家に伝来したもので、大正14年5月の東京美術倶楽部による松平子爵家蔵品売立によって世に出た。昭和3年、ドイツへ売られるところ引き止めた第一書房社主長谷川巳之吉によって紹介され、昭和の又兵衛論争を引き起こすきっかけとなった。
江戸時代初期の異色の絵巻として、また不明な点の多い岩佐又兵衛の画業を考える上でも注目される作品である。

 

柿本人麿・紀貫之図 岩佐又兵衛勝以 江戸時代(17世紀)

紙本墨画 双幅 人麿図 93.3×35.4㎝ 貫之図 93.8×35.5㎝  重要文化財


岩佐又兵衛勝以(1578~1650)は、川越仙波東照宮所蔵の「三十六歌仙絵扁額」に見られるように歌人の絵を数多く描いているが、この二幅は、なかでも異彩を放つ作品である。この作品は漢画における水墨画の技法を巧みに使いこなし、人麿像は減筆体風の手法で、また貫之像は没骨風の筆づかいで表されている。人麿は裸足で歩む好々爺に、また貫之は優しい表情の親しみのある人物像に描くなど、全体に見られる即興的な要素とともに、彼以前の歌仙絵には見受けられない独創的で自由な解釈が示されている。上部に書かれた賛や下部の落款は、ともに絵と同じ筆で書かれており、勝以の筆跡の基準となるものである。
(賛詞)
ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に島隠れ 行く 舟をしぞおもう 柿本人麿(右) 紀貫之  桜ちる木の下風は さむからで 空にしられぬ 雪ぞ降ける(左)

 

自画像 岩佐又兵衛勝以 江戸時代(17世紀) 紙本著色 一幅 34.8×23.9㎝ 重要文化財

竹製の椅子に坐し、竹の杖を持つ老人の肖像画で、勝以が亡くなる直前に、福井に住んでいた妻子に形見として描いた自画像であると伝えられている。  岩佐又兵衛勝以は、天正6年(1578)摂津伊丹城主荒木村重の子として生まれ、数奇な運命をたどって越前松平家へ画家として伺候した。  本図は、気どりのない実直な表現、個性的な相貌や両手、三足香炉の表現、そして何よりも無駄のない線描の手法などに、優れた勝以の描写力とほかの作品にも共通する部分が見られる。こうした特色から、勝以自筆という伝承もうなずける。なお、この図には岩佐家系譜と勝以の自筆書状が添えられている。
伊勢物語図 岩佐又兵衛勝以 江戸時代(17世紀) 紙本著色 一幅35.7×56.4㎝ 重要美術品
岩佐又兵衛勝以と同時期の、やまと絵の復興を目ざした琳派・土佐派・住吉派などは、いずれも王朝文学の代表的な作品である『源氏物語』や『伊勢物語』などを画題としてとりあげているが、勝以もまた同様に、本図のような作品を残している。
本図は、『伊勢物語』の「東下り」の段に含まれる宇津の山路を描いたもので、勝以得意の銀泥と墨を使った霞引きによって、遠くの山路と、木陰で休む業平一行という近景とが、くっきりと距てられている。線は繊細で、暈しをうまく使った奥行きのある表現、人物や樹木の確かな描写、それに霞を使った画面構成など、念入りな仕上がりの作品になっている。衣の文様のやまと絵的な描き方と風景の漢画的な描法との折衷は、勝以画における大きな特色である。

 

 

寂光院図(旧樽屋屏風のうち)岩佐又兵衛勝以 江戸時代(17世紀)

紙本著色
一幅 58.5×37.3㎝  重要美術品
又兵衛は平家物語に題材をとり何点かの作品を残しているが、この図もその一つで、京都大原の寂光院に隠棲した建礼門院平徳子(平清盛の娘にして安徳天皇の生母)が念仏と読経三昧の生活を送るさまを描いたものとされる。元は八曲一隻の押絵貼屏風で、旧岡山藩主池田公爵家に伝来した。樽屋屏風とも呼ばれるが理由は未詳である。大正8年、池田家より売立に出され、現在のような掛幅装となった。
全体が細い線で描かれた白描画風の筆法でそれに淡彩が加えられているが、画面に流れる静寂な雰囲気は、世を避けた女性の境遇を表すのにふさわしい。場面に奥行きをもたせる霞引きは、銀泥と墨とを混ぜ合わせたものと考えられ、勝以独自の表現である。ここでも画面中央の大和絵風な室内の光景と、画面下方の岩組や水、竹林の漢画山水図的な筆法とが折衷された様式をみることができ、登場人物には又兵衛風がはっきりと表れている。静かな中にも張りつめた緊張感のある気品高い画面である。

 

官女図  岩佐又兵衛勝以 江戸時代(17世紀)

紙本著色 一幅 69.9×43.3㎝ 重要美術品
無背景に小袿(こうちぎ)をまとう立ち姿の官女が描かれている。又兵衛が描いた立ち姿の歌仙絵として「在原業平図」(出光美術館)が知られており、本図も勝以が数多く描いた歌仙絵のうちの一つと考えられている。小野小町を描いたのではないかという説もあるが断定することは難しい。
描線は伸び伸びとして、衣裳の文様や彩色も美しく、官女の舞姿のごとき動きのある軽やかな表現は、見事な画面構成となっている。背景の淡い色調の中で細部まで入念に描き込まれた衣や朱の袴は強い印象を与え、画面全体をあでやかに飾っている。画面の形からして、六歌仙あるいは三十六歌仙を描く屏風絵の一扇であったとも考えられる。