北斎 冨嶽三十六景 Digital Remix 作品解説

作品解説 索引

 

■北斎「冨嶽三十六景」Digital Remix

 
 

■その他のコレクション

 

 

展示室4

59、冨嶽三十六景

武陽佃嶌

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
佃島は、隅田川の河口に浮かぶ小島で、その周辺は将軍家へ献上する白魚漁で賑わった。図には、荷舟、渡し舟、乗り合いの釣り舟、漁船など様々な船が描かれ、彼方に富士をのぞむ海上の活況を伝えている。

60、冨嶽三十六景

青山圓座松

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
龍巌寺(渋谷区神宮前)の円座松、別名笠松は、枝の長さが5m以上伸び、笠のような姿をした見事な松であったという。丸い丘のような笠松と、霞を隔てて比較的大きく描かれた直線的な富士とが対比的に表されている。

61、冨嶽三十六景

深川万年橋下

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
深川万年橋は、隅田川に注ぐ小名木川にかけられた橋である。太鼓のようにまるい橋を見上げ、水平線上に富士を見せる。橋の下では釣り人が岩の上で糸を垂らし、橋上の賑わいとは対照的な静けさを漂わせている。

62、冨嶽三十六景

東都駿臺

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
駿台とは神田駿河台のことで、高台のため、富士がよく見えたらしい。本図では坂道を行き交う武士や行商人、巡礼者の様子が描かれ、近景の屋根ごしに小さく富士がたたずんでいる。

63、冨嶽三十六景

隠田の水車

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
当時、隠田(現在の原宿から青山)は閑静な田園地帯だった。図は、水車を大きく描き、霞のかなたに遠く富士をみせ、穀物を運ぶ男や米をとぐ女など働くものの姿を描く。また水流表現には、北斎特有の意匠化がみられる。

64、冨嶽三十六景

礫川雪ノ旦

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
礫川は小石川(文京区)のことで、この付近は眺望のよいところであった。本図は、シリーズ中唯一の雪景色で、料亭から下町を眺め、江戸川(神田川)越しに富士を望む。空を舞う三羽の鳥が空間を引き締めている。

65、冨嶽三十六景

江都駿河町三井見世略圖

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
越後屋三井呉服店は、当時大いに繁盛した店で、図中看板には「呉服物」「組物糸」と「現金 無掛直」の文字も見える。富士と屋根の三角形の相似を用いた構図で、荷を投げる屋根職人や天空の凧が動感を高めている。

66、冨嶽三十六景

五百らかん寺さざゐどう

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
江東区大島にあった五百羅漢寺には、三階建ての三(さん)匝(そう)堂(どう)(さざゐ堂)があり、参詣する人々で賑わった。楼上には、札所参りの人や子供連れの女房などを配す。人々の視線、屋根の梁、床板の線は全て富士山を指す構図となっている。

67、冨嶽三十六景

御厩川岸より両國橋夕陽見

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
厩橋(うまやばし)(台東区)一帯は、昔幕府の御厩(みまや)があったので、御厩河岸(おんまやがし)といった。隅田川にはいくつかの大橋があったが、多くの場所は渡船を用いていた。図は、御厩の渡しより夕暮の青い富士を描く。波の深い藍色が印象的である。

68、冨嶽三十六景

下目黒

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
目黒(東京都)は田畑が多く、わずかに目黒不動があるくらいの田園地帯であった。図は、くわをかついだ農夫や二人の鷹匠を描き、左右の丘の間に富士をみせる。黄と緑の色調が、のどかな田園風景をよく表わしている。

69、冨嶽三十六景

江戸日本橋

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
日本橋は全国へ通ずる街道の基点であり、江戸の商業の中心でもあった。図は、この日本橋から望む富士で、往来の激しい橋上の様子を画面前方に沈めて人間の頭部だけを描き、川や白壁の倉庫には遠近法を用いている。

70、冨嶽三十六景

東都浅艸本願寺

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
手前に本堂の瓦屋根を大きく描き、いらか越しに富士をみせる。眼下には霞がたなびき、隙間からは浅草の街並みが姿をみせている。上空では街から揚がる凧が尾をたなびかせており、吹き抜ける風の勢いを感じさせる。

71、冨嶽三十六景

相州梅澤左

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
富士を背景に手前に5羽、そして富士を目指し跳ぶ2羽の鶴を描いている。富士と鶴の組み合わせは吉祥を意識したものであろう。梅澤左の「左」は、「在」または「庄」の誤刻で、現在の二宮町(神奈川県)梅沢と思われる。

72、冨嶽三十六景

甲州三嶌越

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
甲府から籠坂峠を越えて三島へ下る道と思われる。大木を中央に配して、その背後に裏富士の険しい姿を見せ、両手をひろげて大木の太さを計る旅人をユーモラスに描く。富士の上部を藍摺りに、裾を淡く墨でぼかしている。

73、冨嶽三十六景

甲州石班澤

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
石班澤(鰍沢(かじかざわ))は、笛吹(ふえふき)川と釜無(かまなし)川が合流して富士川となる急流地である。波頭にしぶきを上げる流れの激しさを、点描を用いて表している。岩場と漁師の綱が作り出す三角形は、富士と相似的で、脇に魚籠(びく)を覗く子が配されている。

74、冨嶽三十六景

相州七里濱

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
七里ヶ浜は鎌倉の海岸で、ゆるやかな丘陵と太平洋に囲まれた地である。図は、腰越(こしごえ)の集落のかなたに富士を望み、左手の海上には江の島と入道雲を描く。わずかな緑のほかは、ほとんど藍でまとめあげている。

75、冨嶽三十六景

常州牛堀

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
牛堀(茨城県)の静かな水郷風景で、苫船(とまぶね)を大きく中心に配し、水辺の芦のかなたに富士を描く。大胆な対角線の構図は、北斎が好んだもので、米のとぎ汁を流す音に驚いて飛びたつ白鷺が、この絵に動きを与えている。