北斎 冨嶽三十六景 Digital Remix 作品解説

作品解説 索引

 

■北斎「冨嶽三十六景」Digital Remix

 
 

■その他のコレクション

 

 

展示室5

76、冨嶽三十六景

本所立川

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
木挽や材木を高々と積み上げる職人などの働く者の姿とともに、真っすぐ立つ材木の間から富士が顔をのぞかせる。「馬喰町弐丁目角」「永寿堂仕入」「新板三拾六不二仕入」と版元永寿堂の広告文がみられる。

77、冨嶽三十六景

従千住花街眺望ノ不二

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
千住街道を国元に向かう鉄砲組、槍組と続く大名行列である。稲刈りを終えた田圃の向こうに、当時大いに賑わった千住の花街があり、そのかなたに富士が見える。中央に配された二人の農婦が、のどかさを醸し出している。

78、冨嶽三十六景

東海道品川御殿山ノ不二

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
品川宿に隣接する丘陵が御殿山で、江戸湾を望む景観が優れていた上に桜の名所として知られ、江戸庶民の行楽地として賑わいをみせた。図は、花見の宴や踊りに興ずる人々を手前に描き、海上はるかに富士を配す。

79、冨嶽三十六景

甲州伊沢暁

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
伊沢は甲州街道石和(山梨県)のことで、笛吹川に臨む宿駅である。図は、早立ちの人馬で賑わう宿駅の情景を描く。空は紅に染まり、まだ夜が明けきらぬ朝靄の中から、黒々とした富士が見える。

80、冨嶽三十六景

見延川裏不二

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
身延山(山梨県)久遠寺は、当時多くの参詣人で賑わいをみせた。図は、身延山道を行く旅人や荷駄(にだ)、また山間を流れる身延川を描く。峨々(がが)たる岩山のあいだに裏富士を望み、切り立った岩山の描写が深山の印象を深めている。

81、冨嶽三十六景

相州仲原

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
相州仲原は、現在の平塚市中原と思われる。図は、行商人、修験者、六部姿の男や畑に向かう農婦などを配したひなびた街道風景で、大山の向こうに裾を長々と引いた富士を描く。

82、冨嶽三十六景

駿州大野新田

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
大野新田は、原と吉原の中間にあり、この辺りは富士の真正面にあたるため、秀麗な富士が最も美しく見えるところである。図に見る葦の束を乗せた牛を引く農夫や、刈葦を背負子で運ぶ農婦から、土地の情緒がしのばれる。

83、冨嶽三十六景

駿州片倉茶園ノ不二

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
広大な茶畑のなかで、茶摘み女や男たちがめいめいに働いている。富士は山裾をなだらかに広げ、長閑な茶園風景にとけ込むように描かれている。静岡は茶の名産地としてよく知られ、片倉は現在の富士市中野の周辺と考えられる。

84、冨嶽三十六景

東海道金谷不二

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
金谷宿から島田宿への間には、東海道最大の難所である大井川がある。本図の荒海の如くうねりのある川波の表現は北斎ならではのもので、人足の群衆描写や、担がれる旅人の丸い笠の列と相まってリズムを与えている。

85、冨嶽三十六景

諸人登山

葛飾北斎/江戸時代 天保2年(1831)頃
 
本シリーズ中、唯一、富士の姿を描かない図で、江戸庶民の間に流行した富士詣を描いている。谷からは白雲が湧き立ち、白衣を着て「六根清浄」と題目をとなえて富士を登拝する人々が描かれている。